2017年2月6日月曜日

沖浦和光著作集』刊行に寄せて

沖浦和光著作集』刊行に寄せて

荒々しくそびえる巨大山脈の威容―全6巻

桃山学院大学名誉教授 寺木 伸明
『沖浦和光著作集』(現代書館)が刊行され始めた。まず第4巻『遊芸・漂泊に生きる人びと』が昨年10月に、第5巻『瀬戸内の民俗と差別』が昨年末に出た。今年前半までに全6巻が発刊される予定である。
そこで、この著作集編集・刊行の経緯とその構成、各巻の概要を紹介し、併せて全巻通じての特徴――結局は沖浦和光さんの全業績の特徴と重なるのであるが――について述べることとしたい。その際、沖浦さんの思想的・学問的軌跡のみならずさまざまな社会的活動の足跡も辿りつつ、書き進めることにしたい。
なお、沖浦さんの人物評や業績評価については、「特集 沖浦和光の世界」(『部落解放』718号、2015年12月)に寄せられた川上隆志・千本健一郎・小寺山康雄・笠松明広諸氏の論稿、『沖浦和光先生を偲ぶ』(沖浦和光先生を偲ぶ会実行委員会、2015年11月)に収録された諸論稿および池田知隆「辺境から歴史を見つめて―沖浦和光追想 民に寄り添う沖浦ワールドの魅力を語る」(『現代の理論』電子版、第6号、2015年11月、http://gendainoriron.jp/)を参照されたい。さらに1970年までの沖浦和光さんの評伝については、安藤紀典『評伝 沖浦和光とその周辺』(先駆社、2016年3月)をお読みいただきたい。

1.『沖浦和光著作集』の編集・刊行の経緯

インドネシアの沖浦和光さん(撮影・荒川健一)
本著作集編集・刊行の構想は、沖浦さん存命中の2010年10月に持ちあがったが、それより以前の2005年ごろから沖浦さん自身が3巻本の論文集を構想されていて(手元にある沖浦メモによる)、次第に『沖浦和光論集』(現代書館)として固まり、沖浦さんはそこに収録予定のいくつかの論稿に手を加え、一部、その初校ゲラも出ていた。しかし、それを変更し、今まで単行本に収録されていなかった論文や入手困難な著作を中心にした著作集(当初は全5巻予定だった)を出すということになった。
その巻別構成や収録論稿についても、沖浦案が提示され、それに基づいて編集委員の桐村彰郎(奈良産業大学名誉教授)、遠藤比呂通(弁護士)、川上隆志(専修大学教授)そして私の4人の意見が斟酌されて、何回かの編集委員会の検討を経て、漸次、構想が固まったものである。
当初は、2011年8月には1巻目を発刊する予定であった。しかし、その後、“鉄人”とも“怪物”とも称されて80歳を超えてもなお頑健であった沖浦さんの腎臓病が悪化して、週3回の透析の身となられて各編集委員担当の「解題」原稿の検討や校正作業が遅滞したこと、加えて桐村委員が病気になられて、ついには2014年6月30日に逝去されたため「解題」原稿の完成をみなかったこと(桐村委員のあとを「解放新聞社」編集長 笠松明広さんが引き継ぐ)。さらには沖浦さんが2015年7月8日に腎不全のため急逝されため、作業が一時頓挫したこと等々の事情で、発刊がかくも遅れてしまった次第である。以上のような経緯で編集作業が行なわれてきたわけで、本著作集に収録された論文の選択(かつ前述のように一部添削が加えられている)や巻別構成について沖浦さん自身の強い意思が働いていることを強調させていただきたいと思う。

2.巻別構成とその概要

巻別構成と編集担当者(兼解題執筆者)を示すと次の通り。
  • 第1巻 わが青春の時代 担当者 笠松明広(当初、桐村彰郎)
  • 第2巻 近代日本の文化変動と社会運動 担当者 笠松明広(当初、桐村彰郎)
  • 第3巻 現代文明の危機と人類の未来 担当者 遠藤比呂通
  • 第4巻 遊芸・漂泊に生きる人びと 担当者 寺木伸明
  • 第5巻 瀬戸内の民俗と差別 担当者 川上隆志
  • 第6巻 天皇制と被差別民 両極のタブー 担当者 寺木伸明
各巻の内容やその評価などについては、巻末に付された編集委員の「解題」を参照していただきたい。ここでは簡単に紹介するにとどめたい。
第1巻では、巻名のとおり沖浦さんの青年期の論文および青春時代の活動に関する論稿を中心に編集されている。旧制浪速高校在籍中で18歳の沖浦さんが日本の敗戦をどのように受け止め、その直後からの疾風怒濤の時代にどのような活動を始めたか、が自らの言葉で語られている。
1947年に東大に入学して日本共産党東大細胞に転籍してからの獅子奮迅の活躍ぶり(当時、ゴリカンと言われていた。1948年6月全国大学の学生ゼネスト成功から第1期全学連結成にむけての奔走など)、その後の共産党主流派との角逐と除名、マルクス主義の思想と理論の批判的研究への取り組みなど、波乱に満ちた青年期の軌跡が綴られている。
もともとフランス文学研究をめざしておられたが、東大では文学部英文科所属で、アメリカ文学を専攻しておられた。その文学研究では、在学中の21歳のときに「太宰治論ノート」を書き上げ、岩波書店の『文学』1949年2月号に掲載された。これは応募論文20数篇の中から4篇選ばれたうちの1篇で、「編集後記」で「沖浦氏の太宰治論は、太宰論氾濫の中にあっても新しい社会的見地から真摯な検討と明白な批判を加えており、今後の作家論として成長発展を期待されるものが十分認められる点買われている。」と評されている。当論文は沖浦さんの文学的資質の片鱗を示すものとして注目される。
第2巻には、NTT労働組合の前身である全国電気通信労働組合(全電通)の月間学習誌『あすど』に1977年から3年半にわたって連載されたものに加筆して、あすど新書として刊行された『近代日本の思想と社会運動』(1980年)が収められている。同書は、現在では入手困難な、しかも「近代日本の文化変動と社会変革の道程を、民衆史の視点から探ること」をめざした労作であるということで収録された。
その他、「日本マルクス主義の思想方法の一特質―福本イズムの思想史的意義をめぐって」においては、1922年に結成された日本共産党が24年に解党決議をしたあと、その再建をめざす過程で圧倒的な影響力を発揮した福本和夫の「分離―結合論」(福本イズム)を、山川均の「協同戦線党」構想(山川イズム)と対比しながら詳細に検討し、その思想史的意義を明らかにした力作である。沖浦さん34歳の時の作品である。他にスターリニズムの成立過程を分析した論稿も収められている。
第3巻は、沖浦さんの最初の単著『近代の崩壊と人類史の未来』(日本評論社、1980年)と高橋貞樹の思想的軌跡に関する論文が収められている。
沖浦さんは、1973年、桃山学院大学から特別研修を与えられ、ロンドンに留学すると同時にヨーロッパを歩き回り、シュペングラーの言うところの「西洋の没落」も嘘ではないと知り、西欧の近代の崩壊を感じ取る。帰路、インドに立ち寄り、インド文化の奥深さとカースト制度の現実に思想的衝撃を受けた。のちにこれが「人生の転機」の一つになったと語っている(『天皇の国・賤民の国―両極のタブー』弘文堂、1990年)。その後、改めて東洋に目を向け、インド・中国・インドネシアなどのアジア諸国に足繁く通うことになった。
こうして、次第にマルクス主義理論・思想研究からインドのカースト差別問題や日本の部落問題等の差別問題、「賤民文化」や芸能史の研究に軸足を移し始める。『近代の崩壊と人類史の未来』は、そうした人生の転機の過程において、西欧近代の崩壊を見すえ、原マルクス像を掘り起こしつつ行った、人類史の未来を切り拓くための思想的苦闘の成果である。
後者の高橋貞樹論は、沖浦さんのそうした模索のなかで出会った人物の理論・思想の歴史的位置づけを行おうとしたものである。高橋貞樹との出会いも、沖浦さんの一つの転機を画するものであった。高橋は、戦前の共産党の指導者の一人で、水平社運動にもかかわりをもっていたが、わずか19歳のとき、『特殊部落一千年史』という優れた著作をものしていた。この著作に感動した沖浦さんは、「特殊部落」が差別語で一人歩きしては困るということで、『被差別部落一千年史』(岩波文庫、1992年)と改題し、校訂を加えて世に広めた。
のち筑摩書房の『ちくま』2007年6月号から2012年3月号まで「青春の光芒 異才・高橋貞樹の生涯」を連載。それをもとに一部削除の上、発行されたものが、沖浦さんの遺著『部落史の先駆者 高橋貞樹 青春の光芒』(筑摩書房、2015年12月)である。
第4巻は、日本およびアジア諸国の漂泊民や芸能民に関する論稿からなる。そのほとんどは、単行本に入っていないものである。そこで取り上げられているのは、海民、傀儡子(くぐつ)、香具師(やし)、歌舞伎役者、サンカ、ハンセン病者などの多様な被差別民の生活・文化・芸能などである。
沖浦さんがインドの文化・カースト差別および高橋貞樹と出会って、日本とアジアの差別問題、被差別民の芸能・文化の研究に没頭し始め、実地に数百を超える被差別部落やインド・ネパール・インドネシアなどを訪ねて生み出した作品群である。長い間、歴史の闇の中に捨て置かれていた無告の民・被差別民に光を当て、かつ、厳しい差別の中を生き抜いてきた人々から学び取ろうとする姿勢が全編に漲っている。講演録やインタビュー記事も含まれていて、これらはまさに“最後の説経師”と言われた沖浦さんの、いわゆる沖浦節を聞く思いがする。
第5巻は、瀬戸内の海民、被差別部落の人びとおよび漂泊民・家船衆の歴史と民俗に関する著作からなる。『瀬戸内の民俗誌――海民史の深層をたずねて――』(岩波新書、1998)、『島に生きる――瀬戸内海民の被差別部落の歴史――』(広島県豊町、1998年)などが収められている。後者は、非売品なので、入手困難ということで収録された。
瀬戸内の鞆の浦近くの平の浦は沖浦さんのルーツ。沖浦さんは、自分は村上水軍傘下の海民の末裔と祖父から聞かされ、そのせいか海を見ると血が騒ぐということをしばしば語っておられた。それだけに、これらの著作には思い入れが強く、とりわけ力がこもっているように思われる。瀬戸内の島々や沿岸部には被差別部落が多く点在している。広島県と愛媛県の間にある芸予諸島だけでも数十の部落が散在しているという。
本巻に収められた著作群は、そうした部落や家船衆の地区等に足繁く通い、古老の話を聞き、地元の関係史料を収集し、また民俗調査を行なって書き上げられた名品である。貴重な写真も多数収められていて、目を楽しませてくれる。
第6巻は、部落差別・アジアの差別および先住民差別に関する論稿からなる。この巻冒頭の「天皇制と賤民――両極のタブー」は、1990年に書かれたもので、いかにしてシャーマン的祭祀王が出現し、その社会体制の秩序化がいかにして「賤民」を作り出すのか、ということが考察されている。日本では天皇タブーの対極に被差別部落をめぐるタブーがあったとして、その両極のタブーについて論じている。
この巻には、民俗学者宮田登さんとの対談集『ケガレ―差別思想の深層―』(解放出版社、1999年)の一部、「ケガレとはなにか――原論的考察――」が含まれている。沖浦さんは、部落差別を考察する際、ケガレという観念との結びつきを重視する必要性と重要性を早くから提唱してきた一人である。そのケガレについて、分かりやすく説明をしている。その考えを具体化したものが、「鎮護国家仏教の<貴・賤>観――インドのカースト制と日本の密教」(1989年)である。
そこで、日本の古代は、儒教的な<貴・賤>観が主力で、中世では<貴・賤>観とインドのヒンドゥー教的な<浄・穢>観とが併存し、近世では<貴・賤>観が一歩後ろに退き、<浄・穢>観が前面に出てくるという注目すべき見解を打ち出している。その他、部落史の論点、アジアの身分制、先住民差別に関する論稿が収められている。
以上が各巻の概略である。

3.『沖浦和光著作集』全編に通底する特徴

特徴の第1は、抑圧され、差別された人びとの立場に身を置いて考察しようとしていることである。最初期の作品である「ルポ・乾いた街―-戦争の遺したもの――」(1953年。第1巻所収)で、父が戦死したりして貧困に陥って「非行」に走らざるを得なかった少年たちの問題を取り上げて以来、最期まで戦争・抑圧・差別・貧困に苦しめられてきた人びとの問題に深い関心を抱き続け、その実態究明、原因の解明、解決の方向・方法(実践的課題)の探究に生涯を捧げてこられたと言って過言ではないと思う。
第2は、まず事実・現場から出発し理論を批判的に検証しつつ(権威主義を排して)、実証的に分析しようとしていることである。その姿勢は、既に学生運動においても、在籍していた東大だけではなく、全国各地の大学の実情を把握して(そのため実際いくつかの大学の実情を確かめに行ったりしていた)、実態に即した運動の方向を探っていた。「ルポ・乾いた街」でも確実な資料に当たるとともに福祉施設などを実地に訪ねて確かめていることから、若いころから一貫したものだったと思われるが、その傾向は、一つの転機となった時期、つまり西欧中心史観から離れて東洋の歴史・文化を見直すようになった1973年以降、特に強まってくると言える。
1970年代後半以降、インドやインドネシアなどにもたびたび訪れて実情把握に努め、また数百に及ぶ被差別部落にも足を運んで現状把握をし、しばしば古老の聞き取りを行っていた。差別され抑圧されてきた当事者の思いを大事にし、むしろ当事者から学ぶ姿勢が強かった。
第3に、常に世界的視座、特にアジア的視座に立って考察していることである。この傾向も、1970年代後半以降、より強くなってくるように思われる。そのことは、本著作集には収録していないが、野間宏との対談集『アジアの聖と賤』(人文書院、1983年)に如実に表れている。
第4に、全時代的視野から分析しようとしていることである。歴史研究者であれば誰でも、こうした視野から研究するのが望ましいと思っているであろうが、なかなか怖くて自己の専門の時代に閉じこもりがちである(いわゆる研究のタコツボ化)。沖浦さんは、勇気を持って“冒険”をしてきたのである。先に見た日本における貴賤観や浄穢観の変遷史の解明などは、そうした全時代的視野がなければできないことである。そのことのために、やや荒削りのところがあるが、よほどの超人でないかぎり、それは止むを得ないことだろう。
第5に、歴史学、民俗学、哲学・思想など、多くの学問分野の成果を貪欲に吸収し、いわば学際的研究を一人で行う、あるいは他の分野の専門家との対談を通して深めていくという研究姿勢をとっていることである。沖浦さんならではの姿勢であろう。
他にも、いくつか特徴をあげうるかもしれないが、私は、基本的な特徴としては以上5点をあげたいと思う。

沖浦さんは、フランシスコ・ザビエルにも深い関心を示し、特に彼の東洋布教と被差別民の関係に興味を持ち、調査・研究を進めていた。ザビエルゆかりの地であるスペイン・バスク地方、インドのゴアとその周辺、インドネシアのマルク諸島、マレーシアのマラッカにも足を伸ばし、フィールドワークを重ねてこられた。すでに原稿もかなり貯まってきていた。沖浦さん亡きあと、これらの書き下ろし原稿をもとにまとめられたのが、『宣教師ザビエルと被差別民』(筑摩選書、2016年)である。こうした遺著も含めて全業績を眺め渡してみると、荒々しくもいくつもの山々が並び立つ巨大な山脈のように見えてくる。その威容は、大きな迫力と魅力をもって迫ってくる。これらの山々は多くの人びとを誘い、また登って来る人々を魅了し続けるであろう。
最後に、触れておかなければならないことは、第1巻・2巻の担当者であった笠松明広さんが、昨年11月30日に病死されたことである。重篤の身でありながら、この2巻分の解題原稿の校正を最後の最後までやり終えてのことである。彼は、桃山学院大学での沖浦ゼミの卒業生であり、沖浦さんの働きかけで1977年から解放新聞社に勤務して、90年から土方鉄さんの後を引き継いで編集長を亡くなるまで勤めた。その間、ずっと沖浦さんと親交を結んでいた。解題原稿は、こうした経歴と能力をもった人でなければ書けない力作であると私は思う。刊行を間近に控えながら手に取ってもらうことができなかったことが、残念でならない。
本著作集が多くの人びとに読まれることが、沖浦さんの願いに叶うことであることはもちろん、さらに編集途上で相次いで亡くなられた桐村さんと笠松さんのご遺志にも沿うことになるであろうということを申し上げ、拙文の結びとしたい。
てらき・のぶあき
1944年滋賀県生まれ。1972年、大阪大学大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。大阪府立吹田高等学校(定時制)教諭、大阪市教育研究所所員、桃山学院大学教員を経て、現在、桃山学院大学名誉教授。全国大学同和教育研究協議会副会長、全国部落史研究会代表。著書に『近世部落の成立と展開』(解放出版社、1986年)、『被差別部落の起源』(明石書店、1996年)、『近世身分と被差別民の諸相』(解放出版社、2000年)、『近世被差別民衆史の研究』(阿吽社、2014年)など。